
「知る」を理解する
こんにちは!
Step CoordinatorのGenです。
「分かった」とか「理解」ってどういうことでしょうか?
大学時代にとある先生が仰っていました。
「私たちがしている理解は言語内翻訳を行なっているに過ぎず、相手の伝えている真意・真理に辿り着いているかは誰にもわからない」と。
哲学的な疑問ですよね。
まぁ、それはさておき。
私達は溢れかえった情報の中でしっかりとキャッチして自分たちの身にしていきたいですよね。これからの社会で大きな情報格差が起きていく中、しっかりと情報を武器にしていきたいものです。
最近は、前田裕二さんの『メモの魔力』が話題になっていますね!
僕はまだ読んでいないのですが、近いうちに読んでみたいと思います。
「インプット(情報)を自分の武器として活かすには」というテーマがますます多くの人にとって重要なものとなっており、そのようなテーマの著書が多く出てきているように感じます。
共通するポイントは?
これらの著書に共通する重要なポイントは
ズバリ、「抽象化」です。
全てを暗記するのではなく、要点やあらすじをつかんでそれをもとに自分の事例に転用していくということです。
適切にインプットできてる?
ここで気を付けるべき点があります。
それは、「抽象化」というプロセスは必ずしも客観的なものではないということです。
「抽象化」というのは、情報から重要なものを残してその他を捨象するということです。この「重要なもの」であるかという情報の取捨選択はその人の思考・基準に則ってなされているといえるのです。
必要な情報があれば、セミナーに行ったり、本を読んだり、ウェブで調べたりといろいろな方法で探しますよね。
目的が具体的に知りたい情報を見つけることであれば何も問題はありませんが、
それが「なにかヒントを得たい」とか「自分の力にしたい」といったような漠然としたものであるならば、この「抽象化」で注意しなくてはならないと思います。
「抽象化」→自己完結に陥る危険性
なぜなら、自分にとって「新しい」情報を得るということは自身の思考や価値基準、既成概念の枠を超えるということだからです。
先ほど、「抽象化」というのは、情報の取捨選択であり、その人の思考・基準に則ってなされると述べました。新しい情報を得ようとするとき、その時の自分の思考や価値基準で取捨選択していては、思考を超えているとは言えないですよね。
情報を得ることで自分を成長させていくというプロセスは、自分で行うことは簡単なように見えて実は難しいのではないかと思うんです。
情報を取り入れても、自分がわかる範囲のもの・関心のある項目の情報に偏っていってしまう可能性があり、それに自分で気づくことが難しいからです。
むしろ目的意識をあまり持たずに、たまたま目の前に来た出来事・情報に真摯に向き合ってみるということの方が、新しい発見があったりするような気がします。あるいは、いやいや学ばされたことが意外と面白かったり、人生を変えるきっかけになっちゃったり…
まとめ
「抽象化に潜む自己完結の危険性」を理解しておくことが必要だということでした。
つまり、「学び」に対しても常に自己批判的にってことですね。
僕もどんどん新しいことを吸収して成長していきたいと思います!
今度また似たようなことを書くと思います。
今日はこんな感じで。
それでは!